古代37 竹取物語の里”京田辺” ②除福・卑弥呼の邪馬台国は徳之島(竹取翁博物館)

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概要

古代37 竹取物語の里”京田辺” ②除福・卑弥呼の邪馬台国は徳之島(竹取翁博物館)〈YouTube動画 http://youtu.be/Cfa6PnJAwP4 http://youtu.be/HzIND9g18KQ

http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html
竹取翁博物館の小泉館長は、日本各地の民俗行事を始め、世界各地(中国・インド・インドネシア・イスラエル・エジプト・トルコ・韓国など50数カ国)の民俗を長年研究してこられた。その中から、館長の住む京田辺が「竹取物語の舞台である」という事を発表された。
今回の総集編は、博物館に展示している ②除福・卑弥呼の邪馬台国は徳之島 というシリーズでビデオ収録したものをおおくりします。
内容は、江戸時代から続く邪馬台国論争。新井白石と大和説を主張した判信友から現代まで6000人余りの論者によって論争が未だに繰り返されている。
館長の小泉氏は、大和の民族を研究したり、九州説の現地を見て回っていた。しかし、確定に至らず徳之島に除福が来ていてその400年後に卑弥呼の邪馬台国ができたという事を発見された。
  司馬遷の『史記』によると、徐福は秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある…」と具申し、3,000人の童男童女と百工(百人の技術者)を従え、五穀の種を持って、東方の蓬莱山を目指してに船出した。そして平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となり戻らなかったと記述されている。この最初にたどり着いた場所が「徳之島」であり不老長寿の大海の島だったのである。そして、そのおよそ400年後に『魏志倭人伝』に記されている「大海の中の島」卑弥呼の邪馬台国が「徳之島」に誕生したのである。
 今回は、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を探しに蓬莱山へきた場所が奄美の徳之島だという事を解説し、続いて邪馬台国論争に終止符!? 徳之島は邪馬台国だった!? を解説している。
現在「邪馬台国が徳之島」説の特別展を開催中!!!  詳細は下記のホームページをご覧下さい。
http://taketori.koiyk.com/yamataikoku.html
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