竹内文書2. 竹内文書の皇統譜 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.5.20

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概要

竹内文書2. 竹内文書の皇統譜 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.5.20 https://youtu.be/8woa9_jc_II
友人のご紹介で竹内文書を引き継ぐ子孫の方が見え「竹内文書の皇統譜」、つまり天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿」を「天の川七夕星まつりの会」の方と共に拝見した。
「古史古伝」の代表的なものとしての竹内文書は、天津教の開祖・竹内巨麿によって存在が明るみになったが、これを保管する竹内家には少なくとも二系流があるようである。
 今回拝見したものは、竹内家の子孫にあたる母系の方であり代々引き継いできた歴代家系図(元は縦書き)を活字に直して右にフリガナを付けた物である。ただ「五色人」の所では、片仮名書きで示されている。
最古の「竹内文書」(竹内文献、磯原文書、天津教文書)は、動物の皮をなめしたものに漢字伝来以前の太古文字である神代文字によって綴られ日本の皇統史書とされる。その成立年代や編纂者は不明で、現存するものは、一般的に5世紀後半の第25代の武列天皇の御代、平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字カナ混じり文で書き改めたものであるとされている。
 しかし、今回お持ち頂いたものは、皇統譜で第八代孝元帝の時代の物とされている物部氏がいたころのものという大変古いものという。
第八代孝元帝が都を置いた場所は軽境原宮で、そこは今、牟佐坐(むさざ)神社の建つ橿原市見瀬町に比定されている。また孝元帝の陵墓も同市石川町にある剣池嶋上陵だとされるが、その八代目の大王と物部氏の伊香色謎(いかがしこめ)命との間に産まれた彦太忍信(ヒコフツオシ)命の子・武内宿禰の子孫が「蘇我氏」(厳密には蘇我石川氏)である。
これらから「武内宿禰の子孫」という「武内」つまり「竹内文書」であり、今回お持ちいただいた方が「武内宿禰」と同じ姓である「武内」姓であることから家系図の姓と深くかかわっている関係者でもある。 
秘伝の文書は竹内文献とは共通の部分もあり現在ほとんど非公開のため、断片的にしか内容はわからない。写筆された資料に基づく「神代の万国史」(皇祖皇太神宮刊)に拠っているが、古事記、日本書紀より遥かに古い系図が描かれている。
 竹内文書の内容は、原始神の宇宙創成から神々の地球創造、人類の誕生、二度にわたる超古代文明の興亡をほぼ年代順に伝えている。世界的、壮大なスケールの記述があり、世界には「五色人」(「イイロヒト」と読み肌の色による分類)が記されている。モーゼ、マホメット、釈迦、孔子などが来日して教えを学んだこと。ボストンやサンフランシスコ、アフリカ、オセアニアなどという地名まで登場するが、現在私たちが耳にするものと少し変動がある。また、太平洋にある「ミヨイ」「タミアラ」という謎の大陸の滅亡に関する記述もある。
竹内文書は、ウガヤフキアエズ王朝を記すが、その歴代天皇名の漢字表記が上記鈔訳と非常に類似している。もともとの上記の原文が漢字のなかったころを考えれば、竹内文書はその後に移しえるときに何らかの漢字を書き記したりしているようである。
竹取翁博物館(京都府京田辺市)は、個人が資材を投じ世界唯一の本格的博物館で日本最古の『竹取物語』関係を中心に山本駅跡・継体天皇「筒城宮」・月読神社と隼人・甘南備山などの展示解説をしている。他に の民俗学やマスコミ一代記、 戦争と平和展、陸のシルクロード、海のシシルクロード、地域の歴史 (郷土史・農具・民具)の他、世界の民俗 (日ュ同素論、徐福と卑弥呼の邪馬台国・奄美徳之島説、古代の歴史、岩石の不思議、重軽石)を展示。また、ホームページやYouTube、ブログ、ツイッター等のニューメディアにも積極的に発信され、講演会依頼にも応じ、常設展の本『竹取物語現代考』地元『京田辺の史跡探訪』『稲作民俗の源流』『マスコミ一代記』を出版、日本や世界から注目され「国際かぐや姫学会」の支部も出来ている。

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